東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9231号 判決 1971年11月26日
原告 伊倉暉
右訴訟代理人弁護士 軸原寿雄
被告 国
右代表者法務大臣 前尾繁三郎
右指定代理人 野崎悦宏
<ほか四名>
主文
一 被告に原告に対し金六〇〇万円およびこれに対する昭和四五年一〇月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和四一年一月一八日訴外古屋高明からその所有に係る別紙目録第一の1(一)記載の土地および2(一)記載の土地(以下一括して「広町の土地」という)ならびに同目録第二記載の土地(以下「鳥谷の土地」といい、これらの土地を総称して以下「本件土地」という)を左記のとおりの約定で買い受けた。
(1) 代金額は金一一〇万円
(2) 右代金中金三〇万円は本契約締結と同時に、内金五〇万円は右土地の所有権移転の仮登記手続完了の日に、残代金三〇万円は右土地の所有権移転本登記手続と同時にそれぞれ支払うこと
(3) 仮登記申請手続は本契約締結と同時に、本登記手続は土地改良事業施行の埋立(宅地造成)完了時にそれぞれ行なうこと
2 原告は、右契約締結の日に代金中金三〇万円を古屋に支払い、同日古屋とともに前記仮登記申請手続を司法書士浅賀弥太郎に委任した。そこで同司法書士は、即日原告および古屋両名を代理して静岡地方法務局沼津支局に対し、前記土地につき登記原因を昭和四一年一月一八日売買予約とし、権利者を原告、義務者を古屋高明とする所有権移転請求権保全の仮登記手続の申請をしたところ、同支局登記官(同支局長増田資信)は、右申請を同日受付第八〇二号をもって受理し、同年二月二七日右申請書に同支局長名義の押印ある、右仮登記が登記済である旨の認証をした登記済権利証を作成し、これを右司法書士に交付した。原告は、同日右司法書士より右権利証を受取り、仮登記手続の完了を確認して売買残代金中金六〇万円を古屋に支払った。
3 広町の土地は、その後土地改良法による換地処分によって別紙目録第一の1(二)、同2(二)記載のとおりに換地された。
4 ところで、その後古屋のなした処分行為により、本件土地について次の(一)、(二)記載のとおりの登記がなされた。しかしこれらの登記は、本来古屋が原告のために申請して受理された第二項記載の仮登記よりも後の順位になる筈のものであったが、右沼津支局登記官がその過失により前記受付に係る仮登記を登記簿に登載しなかったため、原告としてはこれによる順位保全の効果を受け得ないことになった。
(一) (広町の土地について)
(1) 根抵当権設定登記(同支局昭和四三年八月二〇日受付第一五八二九号)
根抵当権者 有限会社宮沢商社
債 務 者 古屋高明
原 因 同年七月二九日継続的証書貸付、手形取引契約の同日設定契約
元本極度額 金一〇〇万円
(2) 右(1)の根抵当権移転の附記登記(同支局昭和四四年四月二二日受付第七、六八五号)
原 因 同年四月一八日確定債権の譲渡
譲渡額 金一、四四八、六二七円
根抵当権者株式会社愛鷹カントリー倶楽部
(3) 条件付所有権移転仮登記(同支局昭和四四年六月一二日受付第一一二〇二号)
権利者 株式会社愛鷹カントリー倶楽部
原 因 昭和四二年六月二八日売買(条件農地法第五条の許可)
(4) 仮差押登記(同支局昭和四四年一月一四日受付第五五七号)
仮差押債権者 渡辺一雄
原 因 同日静岡地方裁判所沼津支部仮差押決定
(5) 強制競売申立登記(同支局昭和四四年七月一一日受付第一三三二八号)
申立債権者 渡辺一雄
原 因 同日静岡地方裁判所沼津支部競売手続開始決定
(二) (鳥谷の土地)
(1) 根抵当権設定登記(同支局昭和四二年六月七日受付第一〇四七八号)
根抵当権者 沼津農業協同組合
債 務 者 古屋高明
原 因 同年六月六日農協取引契約の同日設定契約
元本極度額 金五五万円(同年六月一四日金八五万円と変更)
(2) 抵当権設定登記(同支局昭和四三年一〇月一四日受付第一九二七二号)
抵当権者 小野幸雄
債務 者 古屋高明
原 因 同年一〇月一日金銭消費貸借の同日設定契約
債権 額 金一八〇万円
5 原告は、前記仮登記の遺脱があって順位保全をなし得なかった結果、古屋のなした右処分により次の(一)ないし(三)に記載するとおりの損害を蒙った。もっとも、本件土地はいずれも農地であって、その所有権移転の効力発生条件である農地法五条による県知事の許可は未だなされていないのであるが、前記仮登記の遺脱がなければ、原告は、後順位権利者に優先し、右許可のあることを条件として完全な所有権を取得し得る権利(期待権)を保持していた者であり、この条件付権利は、それ自体として財産的価値を有するものである。原告が前記のごとき経過で右の財産的価値を喪失するに至ることは、前記仮登記の遺脱当時当該登記官において充分予知し得たことである。
(一) (広町の土地について)
右土地については、前記4(一)記載のとおり、強制競売手続が進行中であるほか、株式会社愛鷹カントリー倶楽部においてその有する抵当権および条件付所有権の譲渡を固く拒否しているので、原告は、右土地に対する前記のような権利を確定的に喪失するに至った。
ところで、右土地の一平方米あたりの時価は、別紙目録第一の1の土地につき三、〇〇〇円、2の土地につき四、〇〇〇円を相当とするから、右土地の時価合計は四、七一四、〇〇〇円である。そして、原告の所有権の取得は前記のとおり県知事の許可がその効力発生条件になっているのであるが、右許可は、現在では申請すれば容易に得られる状況にあるから、本件のような条件付所有権の価格は、右時価の七割を下らないとみるのが相当である。したがって、原告は、前記仮登記の遺脱により、広町の土地に対する三、二九九、八〇〇円相当の価値を有する条件付権利を喪い同額の損害を蒙った。
(二) (鳥谷の土地について)
原告は、右土地の所有権を確保するために、前記4(二)記載の各抵当権の債務者である古屋に代位し、昭和四五年六月一〇日、沼津農業協同組合に対し元金八五万円およびこれに対する昭和四二年六月中以降の利息の弁済として金九六三、六〇五円を、小野幸雄に対し元金一八〇万円およびこれに対する昭和四三年一〇月中以降の利息の弁済等として金二〇〇万円をそれぞれ支払い、右抵当権を取得した。右代位弁済は、前記仮登記の遺脱がなければなさずに済んだ筈であるから、右出捐金合計二、九六三、六〇五円は、原告が蒙った損害といわなければならない。
(三) したがって、前記仮登記の遺脱により原告が蒙った損害は、前記(一)記載の三、二九九、八〇〇円と(二)記載の二、九六三、六〇五円との合計額六、二六三、四〇五円から原告の古屋に対する未払残代金二〇万円を控除した残額六、〇六三、四〇五円となる。
6 原告が蒙った右の損害は、前記のとおり国の公権力の行使にあたる公務員である前記登記官の職務上の過失に基因して生じたものであるから国家賠償法第一条により被告に賠償責任がある。そこで、原告は、本訴により右損害金のうち金六〇〇万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四五年一〇月二日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1の事実は否認する。古屋高明は、昭和四一年当時沼津市において自動車の部品工場を経営していたのであるが、金策に苦慮し、知人である原告から一一〇万円を借り、その担保のために本件土地を譲渡担保の目的に供したものであり、したがって、古屋は、右土地所有権を確定的に原告に移転する意思を有していなかった。
なお、広町の土地については、古屋は昭和四一年頃これを株式会社愛鷹カントリー倶楽部に対し一一〇万円で売渡しており、右土地がゴルフ場の代替地とする目的であったところから所有権移転登記をなさなかったものである。
2 同2の事実中、浅賀司法書士が原告主張の日に静岡地方法務局沼津支局に対し仮登記手続の申請をしたこと、同支局登記官が右申請を受理し、主張のような仮登記済権利証を作成交付したことは認めるが、その余の事実は知らない。
3 同3、4の各事実は認める。
4 同5の事実中、本件土地がいずれも農地であって県知事の許可が未だなされていないこと、広町の土地について強制競売手続が進行中であることは認める。広町の土地の時価および鳥谷の土地に関する出捐額の点は知らない。
損害発生の点についての主張は争う。原告主張の法定の許可が原告に対して与えられるとは限らないし、右許可のない以上原告は本件土地の所有権を取得していないのであるから、本件仮登記の遺脱によって原告が所有権を喪失したことにはならない。また、原告がその主張のように鳥谷の土地の根抵当権等の譲渡を受けても、右土地の所有権の取得が確定したとはいえないのであるから、本件仮登記の登載遺脱と右譲受のために要した支出とは関係がない。
第三証拠関係≪省略≫
理由
一 ≪証拠省略≫を総合すると、原告が昭和四一年一月一八日古屋高明からその所有に係る広町の土地(但し後記換地処分がなされる前の従前の土地)および鳥谷の土地を原告主張(請求原因1参照)のような約定(代金一一〇万円)で買受けたことが認められる。
ところで被告は、右土地は古屋が原告に対する一一〇万円の貸金債務の担保のために原告に譲渡し、もって譲渡担保の目的に供したものであると主張し、証人古屋高明は右主張に副う証言をしている。しかし、≪証拠省略≫に照らし、かつまた右貸金においては利息、弁済期等の具体的約定はなかったと述べる右証言内容自体から考えて、同証言はにわかには措信し難い。また、≪証拠省略≫によれば、株式会社愛鷹カントリー倶楽部は昭和四一年五月頃ゴルフ場用地の代替地とするため本件土地を含むその周辺土地の買収に着手し、昭和四二年六月二八日頃古屋との間で本件土地につき農地法五条の許可を条件とする売買契約を結んだことが窺われるが、右売買は、原告の前記買受の後に、原告とは関係なく行なわれたものであるから、前認定の売買が被告主張のような譲渡担保であることの裏付けとなすには足りない。そして他に前認定を左右するに足りる証拠はない。
さらに、≪証拠省略≫を総合すれば、原告が前示売買契約締結の日に代金中三〇万円を古屋に支払い、同日同人とともに本件土地につき所有権移転請求権保全の仮登記申請手続を司法書士浅賀弥太郎に委任したこと、そこで同司法書士は即日右両名を代理して静岡地方法務局沼津支局に対し、右仮登記手続の申請をしたところ、同支局登記官(同支局長増田資信)が右申請を同日受付第八〇二号をもって受理し、同年二月二七日右申請書に同支局長名義の押印ある右仮登記が登記済である旨の認証を付した仮登記済権利証を作成し、これを浅賀司法書士に交付したこと(この点は当事者間に争いがない)、原告は右同日右司法書士から前記権利証を受取り、仮登記手続が完了したものと確信して売買残代金中六〇万円を古屋に支払ったことが認められる。
しかるに、(1)右沼津支局登記官が、前示のとおり仮登記の申請を適法に受理しその登記済権利証まで作成交付しておきながら、過失により右仮登記を登記簿に登載しなかったこと、(2)広町の土地はその後土地改良法による換地処分によって原告主張(請求原因3参照)のとおり換地されたこと、(3)右土地を含む本件土地についてその後古屋のなした処分により原告主張(請求原因4参照)のような各登記がなされるに至ったこと、(4)この結果として、原告が前記仮登記による順位保全の効果を受け得なくなったこと、これらの事実は当事者間に争いがなく、右(3)(4)のごとき事態が生ずることは、登記制度そのものの趣旨からして、(1)の仮登記遺脱当時前記登記官において充分予知し得たことがらであるというべきである。
以上認定の事実関係によれば、登記官の右仮登記の登載遺脱が、被告の公務員である登記官としての職務を行なうについての違法行為にあたることは明白であるから、このことによって原告に損害が生じたとすれば、これがいわゆる特別事情による損害であるにしても、被告は、国家賠償法一条に基づきこれを賠償すべき義務を負担しているといわなければならない。
二 よって原告主張の損害について判断する。
(一) 条件附権利について
本件土地がいずれも農地であって、前示売買がなされた当時、農地法五条所定の県知事の許可が未だ得られていなかったことは当事者間に争いがない。そして農地転用のための所有権移転に必要とされる右許可は、所有権移転の効力発生要件であるから、原告は前示売買契約によって本件土地の完全な所有権を取得していないことは被告主張のとおりである。しかし、原告は右許可があることを法定条件として完全な所有権を取得できる条件付権利を有しているのであり、右権利はいわゆる期待権ではあるが、仮登記によってその保全が可能であるのみならず、その権利譲渡についても対抗力を具備できるので、取引上も相当な交換価値を有するものである。それゆえ、前示仮登記の登載遺脱によって原告が右のような権利を喪失し、もしくはその権利を確保するために出捐を余儀なくされたとすれば、よって生じた損害は、右仮登記の登載遺脱という登記官の違法行為と相当因果関係にたつものといわなければならない。
そこで原告主張の損害額について検討する。
(二) 広町の土地についての損害
原告は、広町の土地につき時価の七割相当の価値を有する条件付権利を喪い同額の損害を蒙ったと主張する。
同土地が仮差押債権者渡辺一雄の申立により強制競売手続が開始され、現在進行中であることは当事者間に争いがなく、株式会社愛鷹カントリー倶楽部が右土地につき元本極度額一〇〇万円の根抵当権設定登記ならびに前示売買を原因とする条件付所有権移転仮登記を有していることは前認定のとおりであり、≪証拠省略≫によれば、前示仮登記の遺脱を発見した原告が右カントリー倶楽部に対し、右抵当権および条件付所有権の譲渡方を申入れたところ、同倶楽部はこれを拒絶したのみか、右土地につき真実の所有権を主張して古屋に対し本登記手続の履行を訴求していることが認められる。そうだとすれば、登記簿上なんらの所有名義人となっていない原告は、広町の土地に対する前記のような条件付権利を回復する途は全く不可能であるというべきであり、右権利はすでに前記カントリー倶楽部が仮登記を経由した昭和四四年六月一二日に喪失したものとみるのが理に適うものと考えられる。そこで、右喪失時における原告の条件付権利の価格について考えるに、一般に農地の転用許可を条件とする条件付権利の価額は、その転用許可がなされる公算の大小により左右されるものとみるべきところ、≪証拠省略≫を総合すれば、右土地を含む周辺の田三六町歩は、元来いわゆる湿田で、耕作にも不便であったため、昭和三三年一一月から昭和四三年二月に至るまで、静岡県知事の設立認可を受けた柳沢土地改良区の手によって土地改良事業が施行され、東名高速道路新設工事に伴なう廃土によって順次埋立が行なわれていたのであるが、右廃土の不足により広町の土地そのものは埋立未了のままになっていること、しかしその隣接地は現に埋立中であり、広町の土地についても宅地化の要素を多分に有していることが認められ、これによれば右土地についての転用許可は比較的容易に得られる状況にあると考えられるので、原告の条件付権利は、右土地自体の価値を基準として、少くともその七割以上の価額を有していたものと考えられる。そして、本件においては、権利喪失時における土地の価額については、直接の証拠はないが、これより約一年後である昭和四五年五月当時における鑑定評価があり、これによれば、広町の土地の昭和四五年五月現在における農地(田)としての価額は広町二三九番一の土地は一、〇六七、〇〇〇円(一平方メートルあたり三、六三〇円)、同町二三七番の土地は四、〇五七、〇〇〇円(一平方メートルあたり四、二三五円)とされており、右評価は、右認定事実とその鑑定理由に徴すれば、正当なものとして採用に値する。以上の考察によれば、原告が前記条件付権利の価額(広町の土地についての損害額、請求原因5(一)参照)として主張する三、二九九、八〇〇円(右鑑定評価よりかなり低めに見積った権利喪失時の時価合計額金四、七一四、〇〇〇円の七割相当額)は総体的にみて正しく、広町の土地については、原告は少くとも右同額の損害を蒙ったものと認めることができる。
(三) 鳥谷の土地についての損害
次に原告は、鳥谷の土地につき抵当債務者である古屋に代位して抵当権者に支払った金二、九六三、六〇五円(沼津農業協同組合に対する金九六三、六〇五円および小野幸雄に対する金二〇〇万円の合計額)相当の損害を蒙ったと主張する。≪証拠省略≫によれば原告が右主張どおりの代位弁済をし各抵当権の移転を受けたこと、そして右出捐は、前記仮登記の登載遺脱のため、原告が条件付権利の確保のためやむを得ず採った措置であることが認められるから、原告は鳥谷の土地については、右出捐額相当の損害を蒙ったものというべきである。
ちなみに、≪証拠省略≫によれば、右土地周辺も、昭和三八年頃から地主らによって順次埋立てられ、引続き昭和四四年五月静岡県知事の設立認可を受けた鳥谷宮下地区土地改良共同施行によって土地改良事業が実施されていたものであり、同年一二月までには本件の鳥谷の土地も埋立が完了し、右土地はいわゆる宅地見込地として前記広町の土地に比し、その二倍前後の時価を有していることが認められ、したがって、鳥谷の土地についての前記条件付権利の価額は、前記出捐額を上廻わるものと考えられる。
(四) 以上検討したところによれば、前記仮登記の登載遺脱によって原告が蒙った損害は、(二)で認定した三、二九九、八〇〇円と(三)で認定した二、九六三、六〇五円との合計六、二六三、四〇五円から原告の古屋に対する未払残代金二〇万円を控除した残額六、〇六三、四〇五円というべきである。
三 以上のとおり判断されるから、被告に対し右損害金のうち金六〇〇万円およびこれに対する損害発生の後である昭和四五年一〇月二日から完済に至るけで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求はすべて正当として認容すべきである。よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊東秀郎 裁判官 小林啓二 篠原勝美)
<以下省略>